軍艦島に涙した日
昨日のあらすじ 軍艦島ツアー午前便の欠航により、上陸果たせず・・と思いきや、
「鳴かぬなら待っちゃあいないよ 浅香光代」
を心の師とし、ついに上陸できたのである。

~第2章~
さて、私がなんで軍艦島にいこうかとおもったのは、
「かっこいいから」
そこに一点の曇りなしだったのである。
上陸時間は悪天候もあり30分弱!
上陸したとたん、「おニューのキャメラ」で写真を撮りまくったのである。
そうしていると、白髪交じりのガイドさんが言った。
「撮影をちょっとやめて。今から大切な話をします。」
(なにおぅ!やいやいやいやい!30分しか時間がないんだぞ!
どうなってんだいこんちくしょうめ!)
と浅香光代が乗り移ってるので、先生は江戸っ子気質になっていた。
「10秒間だけ目をつぶってください。」
(なんだってんだい!ええ?!こんちくしょうめ!)
と思いながら目をつぶってみると
台風のような風の音だけがそこにはあった。
昔は沢山の声が飛び交っていたという軍艦島。
ただのおっちゃんだとおもっていたその人は、
軍艦島で生まれ育ち、青春時代を過ごした人だった。
しかも「軍艦島を世界遺産にする会」の会長さんだとの事。
この人の話を簡単にまとめると、
「土佐という軍艦に形がにているので、軍艦島と呼ばれるようになった島、端島。
以前は東京よりも人口密度が高く、活気にあふれていた。
大正から昭和49年閉山まで沢山の人が生活していた。
それなのに私達はたった3ヶ月でこの島をでなければいけなかった。
思い出深い家財道具もほとんど置きっぱなし。
それは二度とこの島に戻ることがないのを感じていたからだ。
25年たって、一度無人島になった軍艦島へいってみようとなった。
半数の人は朽ち果てた故郷をみたくはないといかなかった。
半数の人は無残になっているだろう覚悟して島へ行った。
しかし、島特有の強風には荒らされているものの
私たちの生活の面影がそこには残っていた。
テレビも家財道具も残っていた。
私達は島が待っていてくれたんだなーと感じた。」
そんな風な話をしていた。当時の恋の話や、楽しみの話。
生き生きとした当時の情景が目に浮かぶようだった。
そしておっちゃんは付け加えていった。
「みな軍艦島を廃墟だとか死んだ島とかいっているけど、
島は生きているんです!当時私たちの悩みは緑がない事だった。
緑がほしくてほしくてしょうがなかったけど育たなかった。
でも今みてください。この島は緑にあふれている。
どうぞ写真を撮るときは、この島に沢山の人の生活があったこと、
それを思いながら撮ってください。」

もう浅香泣いたね。
しらなんだよ。残すべきだよ。沢山の人の故郷だもんね。
と思いながらも風に飛ばされていた。
そうなのである。台風より豪風なのである。
「島、生き過ぎー!」
そして先生はひそかにカツラをつけていた。
メンバーに抜け駆けして一人アーティスト写真を決め込もうと
思っていたのである。
しかし、時間もないし何しろ強風なのでかっこつけてもおられず、
スナップ写真を撮るのが精一杯だった。

写真もおっちゃんの話に浸りすぎて、ほとんど歩きながら撮った。


ちょっとぽっちゃり系の係りの人も飛ばされそう。

今度はメンバーとキャメラメーンを引き連れて行きたい。
友達といつまでもグダグダしていたら、
スタッフの人に
「今日ここで野宿するーー?」
といわれた。いやーん、待ってー!とギャグ漫画の如し
バタバタと船に乗り込む。
帰りは2階に乗った。
強風と高波なのに正気の沙汰ではない人が
友達と私の他にも何人かいた。
河童をいくらつけても飛ばされる。

最後はスタッフのおっちゃんがずっと私の河童を頭から
抑えていた。
あまりの波と水しぶきにずっと笑っていた私をみて
友達は
「気が狂っとる・・・」
と思ったとかなんとか。
さようなら軍艦島。また会う日まで。

みんなも朽ち果てる前に行こう!目の前で見ると
迫力がハンパないよ!浅香も太鼓判だよ!
~超能力喫茶編へ続く~
なんでもいいけど明日から、
また長崎いくんだよ!今度はパトラとだよ!
これもくるんだよ!
5/2(水)【ラウンジサウンズ~忌野清志郎を歌う夜~】
@ VooDooLounge
19:00開場、19:30開演
料金1500円+1ドリンク
出演)
■ RCサクセション完全コピーバンド
(ボギー(nontroppo)/渡辺光(nontroppo)/
ゆうと(饅月)/トミー(ポカムス)/ONY(武骨サプリメント)
/金丸(アダチ宣伝社)/宗太郎(SKA★ROCKETS))
■ THE VOTTONES
■ HCサクセション
■ タマランズ
■ 漢方先生
弾き語り)
■ UT(accidents in too large field)
■ 東健介
■ 忌野キンジロー
■ 四万十川友美(大阪
「鳴かぬなら待っちゃあいないよ 浅香光代」
を心の師とし、ついに上陸できたのである。

~第2章~
さて、私がなんで軍艦島にいこうかとおもったのは、
「かっこいいから」
そこに一点の曇りなしだったのである。
上陸時間は悪天候もあり30分弱!
上陸したとたん、「おニューのキャメラ」で写真を撮りまくったのである。
そうしていると、白髪交じりのガイドさんが言った。
「撮影をちょっとやめて。今から大切な話をします。」
(なにおぅ!やいやいやいやい!30分しか時間がないんだぞ!
どうなってんだいこんちくしょうめ!)
と浅香光代が乗り移ってるので、先生は江戸っ子気質になっていた。
「10秒間だけ目をつぶってください。」
(なんだってんだい!ええ?!こんちくしょうめ!)
と思いながら目をつぶってみると
台風のような風の音だけがそこにはあった。
昔は沢山の声が飛び交っていたという軍艦島。
ただのおっちゃんだとおもっていたその人は、
軍艦島で生まれ育ち、青春時代を過ごした人だった。
しかも「軍艦島を世界遺産にする会」の会長さんだとの事。
この人の話を簡単にまとめると、
「土佐という軍艦に形がにているので、軍艦島と呼ばれるようになった島、端島。
以前は東京よりも人口密度が高く、活気にあふれていた。
大正から昭和49年閉山まで沢山の人が生活していた。
それなのに私達はたった3ヶ月でこの島をでなければいけなかった。
思い出深い家財道具もほとんど置きっぱなし。
それは二度とこの島に戻ることがないのを感じていたからだ。
25年たって、一度無人島になった軍艦島へいってみようとなった。
半数の人は朽ち果てた故郷をみたくはないといかなかった。
半数の人は無残になっているだろう覚悟して島へ行った。
しかし、島特有の強風には荒らされているものの
私たちの生活の面影がそこには残っていた。
テレビも家財道具も残っていた。
私達は島が待っていてくれたんだなーと感じた。」
そんな風な話をしていた。当時の恋の話や、楽しみの話。
生き生きとした当時の情景が目に浮かぶようだった。
そしておっちゃんは付け加えていった。
「みな軍艦島を廃墟だとか死んだ島とかいっているけど、
島は生きているんです!当時私たちの悩みは緑がない事だった。
緑がほしくてほしくてしょうがなかったけど育たなかった。
でも今みてください。この島は緑にあふれている。
どうぞ写真を撮るときは、この島に沢山の人の生活があったこと、
それを思いながら撮ってください。」

もう浅香泣いたね。
しらなんだよ。残すべきだよ。沢山の人の故郷だもんね。
と思いながらも風に飛ばされていた。
そうなのである。台風より豪風なのである。
「島、生き過ぎー!」
そして先生はひそかにカツラをつけていた。
メンバーに抜け駆けして一人アーティスト写真を決め込もうと
思っていたのである。
しかし、時間もないし何しろ強風なのでかっこつけてもおられず、
スナップ写真を撮るのが精一杯だった。

写真もおっちゃんの話に浸りすぎて、ほとんど歩きながら撮った。


ちょっとぽっちゃり系の係りの人も飛ばされそう。

今度はメンバーとキャメラメーンを引き連れて行きたい。
友達といつまでもグダグダしていたら、
スタッフの人に
「今日ここで野宿するーー?」
といわれた。いやーん、待ってー!とギャグ漫画の如し
バタバタと船に乗り込む。
帰りは2階に乗った。
強風と高波なのに正気の沙汰ではない人が
友達と私の他にも何人かいた。
河童をいくらつけても飛ばされる。

最後はスタッフのおっちゃんがずっと私の河童を頭から
抑えていた。
あまりの波と水しぶきにずっと笑っていた私をみて
友達は
「気が狂っとる・・・」
と思ったとかなんとか。
さようなら軍艦島。また会う日まで。

みんなも朽ち果てる前に行こう!目の前で見ると
迫力がハンパないよ!浅香も太鼓判だよ!
~超能力喫茶編へ続く~
なんでもいいけど明日から、
また長崎いくんだよ!今度はパトラとだよ!
これもくるんだよ!
5/2(水)【ラウンジサウンズ~忌野清志郎を歌う夜~】
@ VooDooLounge
19:00開場、19:30開演
料金1500円+1ドリンク
出演)
■ RCサクセション完全コピーバンド
(ボギー(nontroppo)/渡辺光(nontroppo)/
ゆうと(饅月)/トミー(ポカムス)/ONY(武骨サプリメント)
/金丸(アダチ宣伝社)/宗太郎(SKA★ROCKETS))
■ THE VOTTONES
■ HCサクセション
■ タマランズ
■ 漢方先生
弾き語り)
■ UT(accidents in too large field)
■ 東健介
■ 忌野キンジロー
■ 四万十川友美(大阪