石井家の大事件
Twitterだけではお知らせしていましたが、
うちの家が大変なことになっており、
皆さんにも滅茶苦茶心配をかけてしまいました。
父親の結果も出まして、腸がいくつか破れてはいるものの、癌などの病気がなく(ポリープはひとつあったが大した事ないらしい)やっと出血も止まり、それさえ治れば退院できるとの事。
2人が倒れた時は、もうダメだー!となってましたが、2人とも近々退院できそうでほっとしてます。
みんなに心配かけてしまいすいませんでした😭
天変地異みたいなここ数日のことを、備忘録として書いてみようと思います。
ある日会社でメールを見ると、姉から
「お母さん救急車で運ばれて入院したんだって?」
は?昨日は元気だったけど?!
急いで会社を早退し家に帰ると、呆然とした父親が。
その日朝から急に熱を出した母。
いつも父とふたりで病院にいつも飲んでる薬を貰いに行く日でしたが、父親ひとりで病院に行くことに。
父親が家に帰ると、全身を激しく痙攣させている母。慌てて119に連絡する。
母親はアワアワ言いながら、コロナだから近づくなー!と言ってたらしい。
テンちゃんはいつも知らない男の人が来ると、ギャン鳴きするのだが、異常な事態を察して、部屋の隅で微動だにしなかったみたい。
コロナ時期で面会にも行けないもどかしさ。痙攣は病院に行っても止まらず、高熱が出ているが、コロナは陰性。肺も綺麗だとの事。
夜、姉がうちに来る。
母の話をする中で、お父さんも大変だったと相談。実はその前の日ぐらいに、
おしりからバケツいっぱい血が出た
と父が言っていた。母も私も病院を勧めるが、
3年前もこんなことあったけど、3日ご飯を食べんかったら治った。自分の体は自分でわかるんだから、悪い所を探さないでくれい。姉には心配するから連絡するな。
1度言い出したらきかない父なので、母はただただ心配していた。
姉に相談すると、父は
「たまに腸が破れるくせがあるんじゃ。食べなかったら治るから心配するな。」
どんなくせだよ!と思いつつ、姉は
「じゃあ、次に出血したら絶対に病院に行ってね。」
と言って野菜スープを煮込んで帰った。
父は煮込み終わるまで待てずに、スープの部分だけ2杯おかわりをして、少し栄養が取れたことにほっとしていた。
その後部屋でうつらうつらしてると、テンちゃんが咳き込んでいた。心臓病特有の咳だ。
慌てて起きると、バタンと言う音と共にテンちゃんが倒れた。下半身が硬直している。目を見開いて、アーーっと雄叫びを上げた。
慌てて抱き上げると、そのままジャーっとおしっこをした。息はしているが、体に力なく寝ているような感じ。
テンちゃん、ダメだよ!戻ってきて!
30分ほどそのまま抱っこして、そっとベットに置いてあげると、目を開けた。
最近すこぶる元気になっていたのに、病気になってから4度目の発作。ただ今回も奇跡的に命は取りとめた。
ほっとしていると、トイレから美由紀~と私を呼ぶ父の声が。
嫌な予感がして急いで部屋を出ると、トイレで力なく座ってる父。
これみてくれい
見ると便器いっぱいの鮮血。
「治ると思っとったのにおかしいのう。」
顔は血の気がなく真っ白。
フラフラと立ち上がれない。
私につかまって!
「それはいいけぇ、イス持ってきて胃薬くれい。」
「血も赤いし絶対胃じゃないと思う。もうお父さん限界なんやろ?病院行こう。おかあさんといっしょのとこ行けばいいやん!」
どうやって連れていこうかあたふたしてると、
「119」
と父が言った。もうこれはよっぽどだと思って急いで救急車を呼ぶ。
幸いにも救急隊員は朝母を運んだ方だった。
出来れば同じ病院にして貰えるようお願いすると、できるだけそうできるようにします。と言ってくれた。
夜中1人ぼっち家で呆然とする私。思いのほか冷静に対応出来た!と思ったが手が震えていて、こんな時人間ってほんとに手が震えるんだなと別の私が見ている感じ。
友達に電話しても心配かけるだけだし、でも心が壊れそうで思わず夜中にTwitterで呟く。
沢山の人が心配してメッセージをくれた。
パトラも夜中Twitterで見たらしく、今から家行こうか?と言ってくれた。
次の日病院に手続きに行かなければいけないけど、どうしてもテンちゃんをひとりで家に置いておくのが不安だったので、素直に甘える事にした。パトラは何日もうちに泊まってくれ本当に助かった!
後日、入院中の父から電話。
昨日輸血してもらいかなり元気になった気がしたものの、また大出血したらしく、
「わしはもうダメだから、机の引き出しに入ってるわしの日記を見てくれい。」
「日記を持ってきて欲しいの?」
「持ってこんでいい。短い文じゃから、見てくれい。」
遺言状でも書いているのかと思って見てみると、なんてことないことが書いてある、毎日一~二行の日記が何年にも渡って4冊ほど。
○月✕日 晴れ 爽やかな朝 気温○度
散髪に行ったがダメだった。他を探そう。
サニーでパンを買う
本当にこんな感じ。しかし少し父のことがわかったような気がした。
知ってる人もいると思うが、私は父と折り合いが悪い。父が脳梗塞で入院した時もそうだったが、病気をすると少し父と普通に会話ができる少し歪な家庭環境だ。
次の日父に日記帳を持って行った。
コロナで面会は出来ないので、看護師さんに
「今からいっぱい書くことあるでしょ!」
と伝えてもらう。
次の日母の結果を聞きに病院へ。
断定は出来ないが、色々調べた結果、脳の腫瘍などは見られず、脳梗塞もないためウイルス性の脳炎だろうということだった。
担当が理事長さんだったが、あんなに痙攣が酷い人初めて見たと言われる。しかしお薬がよく聞いて、痙攣は次の日に止まり、熱が下がれば1週間くらいで退院。よかった!とひとまず安心。
母には父が入院したことは内緒にしてもらうよう病院にお願いしていたが、電話があって
「お父さんが入院したんだって?!」
と言われる💦
看護婦さんが言っていたらしい。内緒にしてって言ってたのにー!と思ったが、おかげで母が看護婦さんに父に会いたいとお願いしたらしく、運良く病棟も同じにしてもらい、毎日のように2人で一緒にキャッキャ言いながら、あれ持ってこい、これ持ってこいと電話をしてくる。
普通だったらコロナ禍で家族は面会禁止だが、2人とも入院するという事で、毎日会えているようだ。結果ばらしてよかったのかもしれない。
2人が会えるようになってから、2人とも随分元気が出た。
私は病院に荷物もって手続きに行ったりな日々だったが、パトラやあけちゃんや、キョンキョン、しっしい、荒木と友達が食品や、冷凍食品やら、とんちゃんの激うま豪華オードブル等必要そうなものを沢山持って家に来てくれた。
豆腐メンタルと名高い私も、クヨクヨせずにテンちゃんを1度も1人にさせることなく安心して病院に通うことが出来たし、家でゲームしたり、歌ったり存分に現実逃避させてくれた!
本当に本当に感謝!
Twitterでしかお知らせしてなかったが、他にも沢山の人がコメントやDMなどのメッセージをくれて、車出すよーとか、なんか必要なものあったら買っていくよーと声をかけてくれた。
普段Twitterとかで、あれ?大丈夫かな?というつぶやきを見ても、なんて声をかけていいかわからず結局何も出来なかった私ですが、こういったメッセージがこんなにも心強く、嬉しいものだったんだなと少し反省しました。
そんなこんなで大騒動の石井家でしたが、何とか嬉しい報告で済みそうです。本当にありがとう、そしてご心配をおかけしました!
追伸 テンちゃんはすっかり落ち着いて、誰かしらいつも友達がうちに来てくれていたため、人見知りも若干和らぎこの表情です!